先日の休日のこと。午後の15時頃に遅い昼食をとろうと駅近くの立ち食いそば屋に入った。
そこは小さなチェーン系のそば屋で、この店に入るのは初めてだった。
カウンターが数席あるだけの狭い店内で年を取った爺さんが一人で回しており、客は自分一人だけだった。
券売機で券を買って渡したら、無表情のまま何かごにょごにょと聞かれた。
恐らくそばかうどんかとか、その類の質問だと思う。
随分ぶっきらぼうな爺さんだ。愛想も何もあったものではない。
ただ、そばは作り置きせずに注文を受けてから茹でており、立ち食い系のそば屋にしては普通にうまかった。

最近はこの手の立ち食いそば屋が増えたから助かる。
昔は立ち食いそばと言ったら、出てくるのが早いだけで蕎麦がボソボソしていてまずいところが多かったからな。

さて、全部食べ終わって器をカウンターの上に乗せて帰ろうとしたら、唐突にその爺さんが声をかけてきた。
声が小さいうえに滑舌も悪くマスクもしているので、正直何を言っているのか聞き取れなかった。
よくよく耳を傾けて聞いてみると、どうやら全然客が来ないというようなことを言っているらしい。
休みの日は元々客は少ないが今日は特に少ない。緊急事態宣言で営業時間が20時までになったし、以前は夜になると駅から大勢の人が出て店の前を通ったが、最近は18時を過ぎると全然人が通らない、と。
このご時世、よくありそうな話である。
と、その時たまたま別の客が入って来たので、会話はそれで終わった。

愛想のない爺さんではあったが、決して悪い人ではなさそうだった。
その爺さんとの会話は、恐らく1分ほどの他愛もない内容だったであろう。しかし色々と考えさせられるものがあった。


飲食店が大変だというのはニュースを見て当然知っていたが、「あぁ、大変そうだな」と、それ以上何も考えることはなかった。
どこか他人事としか思っていなかったのだろう。

よく考えてみると、こうやって飲食店の人から直接話を聞くのは初めてだ。
顔見知りばかりが来店するような田舎でもないし、普通はそのような愚痴や弱音みたいなことを客に言うのは憚られるだろうからね。
だから客の立場として飯を食いに行っても、表面上はコロナ前と変わりないように感じる。強いて言うと、席の間に衝立が立っていたり店員がマスクをしているくらいか。
むしろ席が空いてラッキーと思っていた節もあるくらいだ。

でもこうやって直接話を聞くと、無関心でいるわけにはいかないような気がしてきた。
「コロナで困っている人」はテレビの中や別世界に存在するのではなく、自分のすぐ身の回りに実在しているのである。
それなのに直接関係ないことだからと、自分の中で切り捨ててしまっていいのか。


幸いにも自分の仕事はコロナの影響を受けていない。
会社の業績は悪化しておらず、給料が下げられる予兆は今のところない。まして解雇なんて話は全く聞かない。
であればそういう人間がきちんと金を使って、経済を回さないといけないのではないか。

コロナで在宅勤務になって以降、昼飯は家で軽く済ませることが多かった。
恐らく半分以上は家で済ませていると思う。
元々食事にこだわりがない性分をしていて、生きていくために必要な栄養さえ取れればいいと考えているから。
それに、昼食のためだけに着替えて外に出るのが億劫という理由もある。

今後はその観点を少し変えて、業務が忙しくない限り出来るだけ外で食べようと思った。
食費は毎月平均で3万円ほどなので、今後はこれを5万円ほどまで引き上げよう。
昼飯に毎日1,000円使えば1ヶ月で3万になるから、いい感じになるはずだ。


今更自分一人がそんなことをしても大差はないかもしれない。
それでも自分が飯を食った分は確実に飲食店の収入になるのだから、意味がないことはない。
むしろ死票が出まくる民主主義の選挙に行くのに比べたら、ずっと有益な行動ではないか?
あと、こういうことは継続することが重要なので、この程度のハードルの低さであれば無理せず続けられると思う。
だからこれは決して悪い考えではないはず。

そば屋を出て歩きながらそんなことを考えていた。